創作講座作品集




田口ランディのクリエイティブ・ライティング講座では、文章実習時間は20分です。その短い時間に参加者の方たちが書いた作品をご本人の承諾を得てご紹介いたします。潜在意識とつながることで内面にダイブし、湖底に沈んでいた金貨を拾い上げてきたような作品群。みなさんの可能性は無限です。わずか20分で書き上げた文章とは思えませんが、毎回、奇跡は起こります。


「オショボの地で」

尾群けい


広い庭にたくさんの人が集まってきた。今日はお祭りの日。ナイジェリア、ヨルバのお祭りだ。ここはかつてビアフラとよばれていた地域。内戦で多くの人が生活の場を失い、子どもたちは飢餓に苦しんだ。そんな土地柄だからか、この地でのパーティーに参加する人はひとりひとり自己紹介をする習わしだ。自分はどこから来てどこの誰なのかと身分を明かす。
そして、簡単な自己紹介をしゃべり終わるとアフリカンドラムが鳴り響く、トーキングドラムは"エカボ!"とあいの手を入れる。エカボとは、こんにちはようこそ、というニュアンスらしい。そして、これまたひとりずつこの調べに合わせて即興で踊るのだ。
イギリス人のグループは、アフリカンダンスもやるダンサーのグループらしく、体いっぱいでアフリカンダンスをそれぞれが表現していた。現地の人たちもやんやのかっさいをおくっている。すごい迫力だ。ひとりずつ自己紹介をして踊る。そのくり返し。自己紹介といっても、名前とどこから来たかを言う程度、誰でも分かる。ただ踊りを見ているのは実におもしろい。うまい、うまくないじゃなくて、何をいうんだろう。その人らしさを感じてしまうのだ。踊るのが好きなのね、とか、恥ずかしがりとか、いろいろ。
そうこうしているうちに、自分の番がまわってきた。
「マイ・ネーム・イズ・ケイコ」
「アイ・アム・ジャパニーズ」
くらいを言うのが精一杯。情けないなと思う間もなく、アフリカンドラムが鳴りだした。「どうしよう」と途端に、体が勝手に炭坑節を踊り出した。掘って、掘って、また掘ってー、かついでかついで・・・と、アフリカのリズムに合わせにくかったけれど、なんだか楽しくなった。合わせにくいんだけど、けっこういい気分で踊るうちに、人より長いんじゃない? と気づいた瞬間、歓声があがった。踊った本人はびっくりだ。そしてなんとアンコールをせがまれたのだ。みんなが笑顔で拍手してくれたあの時。


「夏の日」

(匿名希望)


「・・・なんだろう、胃がムカッとする。」
私は東京行きの新幹線に乗っていた。大好きなバンドのライブに行って帰る電車の中で、急にふと思った。
その後のことはあまり覚えていない。どこかで、もしかしたらと思い、妊娠検査薬を買って検査して陽性で妊娠がわかったのだろう。
わかった時、私は自分の家に1人でいて、私のお腹の中に赤ちゃんがいると思えて、なんだか愛おしくて、少しまだぺたんとしたお腹に触れて泣いた気がする。
ここ数年、私の信頼してる女性に、その直後打ち明けた。「私、妊娠しました! 産みたいんです!」
その女性は言った。「それは産んだ方がいいよ。」
彼女に打ち明けた後、私は彼に伝えた。彼は沈黙。私は産みたいと言った。
彼は、いつの夜だったか、いつその話をしたのか覚えていないけれど、自分の知らない所で私と、自分の子供が生きているのは嫌だと言った。要は、産むことに反対だった。
彼との関係は、今思えば、いや、会っている時でさえ、自分でも、傍からみても、不安定でおかしなものだった。
夜中に私の家にきて、私はそれを受け入れて、セックスをして、私は仕事に行き、彼もまた仕事に行った。
結局、私は産む自信も、1人で育てる覚悟も母になる覚悟も持てなかった。母に相談したが、やっぱり産む決心をつけられなかった。
その後、通院していた婦人科の先生に、ある病院を紹介してもらった。とにかく私は、もうへろへろで暗い気持ちで誰でも何でもいいから、この状況を終わらせてほしいと、終わらせなきゃと思っていた。
手術の日。私は病院の個室のベッドで着替え、横になっていた。その時がやってきて、私は荷台のようなベッドに横たわり、ガラガラと手術室へ入った。先生が何か言うが、まったく自分の中に入ってこない。とにかくピカッとした天井にあるライトや、手術室特有の、もしかしたら、テレビのイメージの刷り込みかもしれない銀色の棚や灰色の何かが自分の視野に入ってくる。
カチャカチャ音がする。全身に麻酔するための注射を打たれた後、私の中に何かが入ってきた。でも体の感覚はなくて、意識はある。私は眠っていない。
私の中から何かがかき出される、その気がした瞬間、自分でもびっくりする位、私は上体を起こそうとしながらも、大泣きしてしまった。
今まで叫んだこともなく、叫ぶつもりもなかったが、きっと、大声で泣いた気がする。そんな私を、脇にいた看護婦さんが、やさしく押さえてくれた気がする。私は動けない。体に力も入らない。大きなおむつをつけてもらって、病室へ戻り、看護婦さんに抱きかかえられて、全身だらんとした状態でベッドに横になった。枕元にあったティッシュケースのティッシュで、私はその後、どの位の時間だったろう。でてくる涙と鼻水を拭いては、泣いて、鼻水がでて、声も時々でて、その繰り返しで何時間くらい経っただろう。
とりあえず帰る時間がくるまで、ティッシュで顔を拭いて、枕元には濡れたティッシュがいっぱい散らばっていたような、なるべく一か所に集めようとしたような、正直もう覚えていない。でも右側にあったティッシュケースと白い壁と白いシーツと枕の白さは、なんとなく今でも覚えている。不思議なことに、泣くだけ泣いた後、病室のカーテンや壁やシーツの色の白さからなのか、きっとそれは関係ないか。
なんだか自分の気持ちがすっきりしたことを感じた。なんというか自分の中のでるものがでて、すっきりした感じというか。
その日の夕方、麻酔も切れて、動けるようになった頃、私は病院をでた。地下鉄に乗って帰る気はなかったのだろう。
少し歩いたところで、タクシーを拾った。帰る場所はただひとつ。自分の住む家。タクシーの後部座席の左側に座って、窓越しに外をみた。曇った夕方の曖昧な白のようなグレーのような空と雲と、いつも目にするような信号や車が並ぶ光景と、視野に入っては流れていく、特に記憶にも残らないようなビルの連なりがぼんやりと見えては消えて、景色が変わっていく。


「白への扉」

西澤義博


紫色のブドウの様なキレイで不快さのないエレベーターの扉。無機質な鉄を隠して、鉄の重みを感じない軽やかな動きで静かにしまっていく。エレベーターの中はとても偉そうな空気で、この病院は新しい人ですよ、と伝えてくる。まるでホテルのような静かで重く勿体つけた雰囲気だ。鼻を刺す化学臭がする病室までの廊下はとても広く、窓から光がさしこんでいる。白い粒子の細い、まるで教会の中に差しこむ白い光、しかし神々しくはない冷たく苦しみと黒くドロッとした感情を覆い隠しているだけ。患者は美しくよどみも塵ひとつない生命の息づかいの乏しい箱の中に押しこめられているようだ。祖母がベッドに居た。田舎の泥や土、緑、虫、自分ではどうしようもなかったけど、共に一緒いることはできたあの秩序はないけど暖かい場所と、今いる秩序はあるけど冷たい場に居ることが、祖母をとても小さな存在にしてしまっていた入れ合わない仮の宿、全然関係のない場所、部屋全体が祖母から命に必要な暖かみをもったつつみこむ空気をうばっていた。部屋は広くベッドは4つしかない。隣のベッドとの距離がとても遠く感じた。
病院の外を出て、建物を見つめた時、白い入道雲が屋上の向こうに見えた。天国への扉が開いて天使が手を差しのべているように見えた。全ての色の力が失しなわれ、ただただ白かった。他の色は入ることができないくらい圧倒的な白い世界、祖母はここからこの白と共にあるのだろうか、もう何か動かせない大きな川のような圧力に押され、なすすべもなく茫然とこの白い世界を感じ続けるしかないのか。病院はこの白い世界の仲間、前にあるもの、人界との区切りでしかなかった。
天国に人を出荷するための流れ作業の工場。予定と結果と数式だけが血液のように循環していた。
エレベーターの扉がゆっくり物音ひとつなく空気と世界をふたつに割るようにしまっていった、波のように重なった鉄が順番に移動していく、祖母の顔が徐々に削られていった。子供の頃、田舎で祖母と過ごしたこと、今まで一緒にあったこと、そのつながりと思いとこの扉は入れあわなかった、つりあわなかった、ただただ1階を目指すボタンが下に降りていった。オレンジ色のボタンはランプのようなオレンジだった。


「二月のこと」

菊池ペコ


労働終わる 二十二時近い 友人が待つ 雑司ヶ谷まで向かう 高円寺から 新宿 新宿から副都心で雑司ヶ谷 「今向かってる」と連絡入れる 鬼子母神近くの 小料理屋着くと IとTがいる 「来るとは思わなかった」とIが言うが 「そうか」と言い Tに「何かたのめや」と言われ ビールたのむ 我々以外に客はいず IがめずらしくYシャツを着ているので「どっか行ったの? 服めずらしいな」 「服なんもなくてこれ着とる」 「そうか」 ビールのむうまい 二人は日本酒をのんでいる 「病院の匂いするな」 「仕事おわって会社で器具の消毒するからその匂いやろ」 「けっこう遅かったな」 「遠くの現場あったしな」 「行くとこ決まったんか」 「まだ 長野の施設は 見学行ったよ 交通費もないから 穂高からずっと歩いたよ」 「かなりの距離やろ」 「そう どこも決まらんかもしれんし」 「どっか決まるやろ」 「わからんけど そっちはどう」 「こないだ 人身事故のしゅうふくした ようわからん気持ちになったよ」 「おれにはようできんよ」 「四人がかりでやったけど やった後 遺族と連絡取れなくて あとどうなったかわからんけど」 「本当心ないな 何か食べれば」 納豆巻き おしんこたのむ 「Tは順調なん」 「生徒かわいいし やってるよ」 「そうか」 Iが「この先仕事するのが 想像できんよ」 「でも納棺の仕事すこしだけどやれてたよな」 「あれは、しないとどうにもならんかったし 運転をしてる時間とかあったからさ」 「そろそろ出るか」と会計し Tが多く出す 「もう少し飲もうや」とTが言う 「所持金あんまないよ」 「出すよ 二人とも無いの知ってるよ」と言い 小料理屋出て 大通りに出る手前で 見つけたワインバーに入る 「何飲む」 「一番かからんのにしてくれよ」 「気にすんな Iの送別会でもあるんだからな」 Tにまかせる赤ワイン うまい 「借金返すのに 選んだ選択だったけど よかったんかわからん」 「何でも ええよ Iは返すと思っとるよ」 「そういうのは Sだけだよ」 「Sは頭おかしいからな」 「おかしくないよ Iのこと信じられるからつきあっとるんよ」 「そりゃそうだよおれだって」 「なあ 電車もうないかもよ」 「ええちゃ 家くれば」 「朝帰って また仕事きついな」 「飲めや」 一時過ぎ店でる Tのアパートに向かう 三人で路地歩く 「久しぶりにTのとこ寄るな」 一階の玄関開けてく 靴脱いで階段上がる 階段にも荷物置かれ 部屋入る ゴミだらけ 「すごいな ひどいよこれ」 「Iちゃんいなくなってからひどいな」 「座るとこないよ」 「おれはベッド使う」 「おれは台所か」 「ソファかこれ」 ソファの上に積み重なった荷物どかし 「ここでええよ どうやったらここまでになるんかな」 寝ようとしたが 眠れず畳の上の酒やら灰皿につまづきながら台所に行くと「どした?」とIが言うので「寝れんから 歩いて帰るよ」と「じゃあ おれも行くわ」と言うので そっと階段下りる 「あいつようあそこで寝れるよな」 Tのアパートの外出て左に行き学校の脇道を通る 「どぉ 行くか」 「適当に行こう」 路地抜け 大通りに出て 「こっち行ったら護国寺の方だよ」 「どっちでもいいから歩こうや」 江戸川橋のあたりで「どっか入らんか 寒いよ」と言う 「ファミレス行くか」と 江戸川橋でファミレスに入る 「飲む?」 「おれはもう酒はいらんかな」 「そうか こっちは一杯たのむわ」 だらだらと話したが ほとんど覚えていない 五時過ぎ 「そろそろ行くか」 店出て 早稲田まで すこし雨降る 大学の校舎の通る 変な形のマンションの前通る 話すこと だんだん無い 早稲田駅で「じゃあ」と言って 別れる Tは寝てるんやろな



◎以下は『下北沢ベーシッククラス2期参加者のみなさんの作品』

  • 下北沢の隠れ家『ティージャン』でクリエイティブ・ライティング講座が始まってから、下北沢の小さなスペースに遠くは北海道、松本、四国、神戸、三重、名古屋、ほんとうに遠くからいろんな方が受講しに来てくれました。夜行バスで帰る人も。みなさんが、ことばを通して自分を客観的に見つめてみたい、と願っているのが伝わってきます。だからほんの少し背中を押してさしあげます。すると、わずか、20分~30分の間にすばらしい作品が生まれてきます。以下はすべて創作(フィクション作品)です。たぶん、みなさん生まれて初めて短編小説を書かれたのではないかと思います。それぞれの作品から、生きることへの前向きな力が、伝わってきます。


  • 「明日死ぬとわかってほっとした」

  • ぷうこ
ああほっとした。やっと家に帰れる。難しいゲームだった。なかなかゲームの意図が理解できなくて最初は戸惑うことばかりだった。どうして自分がこの場所に連れてこられたのか、どうして自分はこの境遇に生まれ落ちなければならなかったのか、謎に包まれた自分の人生に随分と長い間怒りを持ち続けた。でももういい。もうわかった。この人生は、ただ自分が本来の自分に戻るための、もときた道を探りあてるための人生なんだとわかった。まるで、自分はこういう自分なんだ、こういう場所から自分は来たんだと再確認するためだけの人生だった。正直、肉体というのはとても不便な容れ物だ。その容器には容器自体のロジックがあって、その容器の特質とうまく折り合ってやっていかなければ、人生は何ひとつままならない。肉体という容器を理解するために私は何年も時間をとられた。おまけに私は女だった。もともとの私に性はなく、両性具有の老人であり、子供でもあり、時空を自由に滑空するお転婆な神であり、多少やんちゃであったため、父なる神の躾の一環として地球に生まれ落ちることになった。男であり、女であるということは、二十年と地球に生きてみても私にはついに理解することはできなかった。もともとひとつであるものを、わざわざどうして分離するかね。男であろうが、女であろうが、そんなことはどっちでもいいことなのにと思う。明日、私は天国に還る。戻る。こんなにうれしいことはない。やっと自由になれる。肉体と性差や人種やアイデンティティに縛られることなく、もとの混沌とした存在にやっと戻れる。多くの人は死を恐れるけれど、勘違いもいいところだと思う。肉体という足枷がはずれ、心は鳥のように宇宙を翔け、自分が持つパワーを過不足なく解き放つことができる瞬間がやって来るのだ。死の瞬間、祝砲は空に鳴り響き、おかえり、おつかれさまでしたと、懐かしい人々が私を出迎えてくれるだろう。ちょっとしんどい人生だったよー、問題が難しすぎだよー、と私はぶうぶう愚痴を言い放題。そうつぶやいた瞬間には私は何万光年をひとっ飛びし、法悦の虹を空にかけ、さわやかな風を大地に吹かせ、また、好き放題のやんちゃな神に戻っているだろう。以前のワガママ放題の幼い神とは少し違って地球についての知識が増えた分、何に介入し何を助け、何に祝福を与えればよいか、具体的な知恵を身につけたので、もう元気なだけが取り柄の幼い神とは違う。難解なゲームをひとつひとつ紐解いていくような、地味な粘りを要求される人生だった。それはそれで面白く、楽しいことも沢山味わえたが、私は、肉体を持たない、時空を自由に行き来するエネルギー体に戻れるのがうれしい。面目躍如。また、気が向いたら地球に生まれてもいいかな!


「穢れ」

本郷一郎


「まったく、何なのかしらねえ」食事の準備を手伝う今日子に話しかけると、「3回目だよね、いちくん、いつも部屋もランドセルもきたないから」と、呆れ顔をして見せる。年子なのに、どうしてこうも違うのか。大人びた娘には若干イラッとさせられるのが、息子は方は心配だ。ふと、旦那の声が聞こえてくる。「病院なんて行かせるな! オレの息子なんだから心配ない。放っておけ!」思い出す度に腹が立つ。あれは3歳になっても、話さない息子について相談した時の言葉だ。声は出すし、意思表示はできる。でも言葉らしい言葉を発しなかったのだ。しかし、よくもまあ「オレの息子だから大丈夫」なんて言えたものだ。どこまでうぬぼれ強く、どこまでお気楽なんだろう。現実を見なければ、こんなに気楽になれるのか。私もちょっと現実を見るのをやめてやろうかしら。うん、いい考えかも!「今日子、ご飯、もうちょっと我慢できる?」「うん、大丈夫だけど・・・」「ママ、ちょっといちくんを見に、学校に行ってみるわ。少し遅いし」「うん・・・」もじもじする今日子を見て、私は付け加える。「テレビ、何見ていてもいいから」「うん! わかった!」現金なものだ。私はさっと化粧を整え、車のキーを取って玄関に向かう。「チャイムが鳴っても、出なくてもいいから」今日子はテレビは見ながら返事をする。社宅の家賃は安く、車を持てるのは大きなメリットだ。私は運転席に乗りこみ、エンジンをかけ、ハンドルに両手を乗せ「さて」と、声を出す。さて、どこに行こうか。しかし、思いつかない。蒸し暑い車内がどんどん窮屈に感じてくる。私はエアコンをつけて、背もたれに身をあずける。背筋を伸ばしても、体にまとわりつく嫌な感じは取れない。体感湿度は高止まりしていて、肌に汗がねっとりとからみつく。ネバネバした物質が、つま先からすねに上がってくる感覚がする。「ひっ!」思わず声が出る。ネバネバは私の体を侵攻し続ける。太ももをゆっくりと過ぎ、局部を埋めつくす。局部から体内に入り込んでくるのを感じる。やがてそれは腰に到達し、胸、首へとのぼってくる。窒息させられるのではと、焦りはじめた時、窓に映像が映し出された。息子が教室内で、深刻そうな顔でハーモニカを探している。でも、私はネバネバに絡みとられて動けない。涙が頬を伝う。やがて映像は切り替わり、自宅を映す。テレビを見ている今日子の背中。そこに、ノックの音がする。無視する今日子だが、それを知っているかのように、ノックの音は執拗に続く。音が徐々に大きくなっていく。今日子も気になり始めたようで、ソワソワしている。ノックは乱暴になり、今日子は恐る恐る玄関に行く。「行っちゃダメ!」私は叫ぶ。あきらかに邪悪な存在だ。行ってはならない。近づいてはならない。でも、私は動けない。それは首から口元に達し、私は声を失う。そして今日子は邪悪な扉を開けてしまう。私は絶望する。しかし、目に到達したそれのせいで、目を閉じることはできない。私は娘の堕落を見続けていた。


「僕はタオルケット」

高橋芳文


僕はタオルケット。君の友達だよ。夜はいつも一緒。君が寝ている時の友達さ。君の夢をいつも一緒に見ているよ。昨日はジュースをいーっぱい飲んだ夢を見たね。その前の日は、たーくさんお菓子を食べる夢を見たね。こわーいオバケの夢を見たときは、僕がオバケを退治してあげたよ。僕はタオルケット、君の友達だよ。夜はいつも一緒。君が寝ている時の友達さ。君が赤ちゃんの時から一緒だよ。僕はタオルケットだけど君の匂いが分かるから、君にくるまるのが大好きさ。あつい夏は、僕にあまりくるまってくれないからさみしいよ。さむい冬は、僕に抱きつくようにくるまってくれるからうれしいよ。僕はタオルケット。君の友達だよ。夜はいつも一緒。君が寝ている時の友達さ。旅行を行く時も、僕を一緒に連れていってくれてありがとう。旅行は僕も大好きだよ。海も好きだし、山も好きだよ。一度、旅行に連れて行ってもらえなかった時は、さびしくて、僕もえーんえーんと泣いちゃったよ。君も僕がいないと寝れなくて、えーんえーんと泣いたって、お母さんから聞いたよ。僕はタオルケット。君のことが大好きさ。君は寝る前に、毎日、今日のできごとを話してくれるね。だから僕は君のこと何でも知っているよ。友達とケンカした時、くやしくて、泣いて、僕にくるまって泣いたね。僕は君のこと、ナデナデできなかったけど、君のことをやさしく包み込んだよ。僕はタオルケット。


「手紙」

名前:匿名希望


今どこで誰とどんな暮らしをしていますか。毎日が同じことの繰り返しのようで、あっという間に一週間、一ヶ月、一年が通り過ぎていくようだけど、子ども達は確実に成長していて桃組さんから小学生、中学高校と離れていくんだよね。覚えていますか名古屋での日々、マンション前の立体駐車場、大木に囲まれた小さな公園。折りたたみの黒いベビーカー、市民プールまで連れて行けなくて、ベランダで小さなビニールプールを出してやったら大喜びをしたこと。図書館で紙芝居と舞台を借りてきてパペット人形劇を上演してみたけど、私のストーリーがイマイチで、キョトンと戸惑った顔のまま固まってしまった子ども達。ウケたのは、影絵遊びだったこと。夏休みといえば、学童のキャンプ! 火祭りのようなキャンプファイヤー、子ども達の歌や踊り、真っ暗な夜道、ヒソヒソ話。子ども達が寝静まった後の大人達だけのたき火を囲んでの宴。ボーイスカウトあがりのパパ達がサクサク動いてくれるから、ママ達は何もせずただ飲んで食べてしゃべって笑って笑って笑った。


「あの日に帰りたい」

オオフジチエ


入道雲が遠くに見える。夏休み。見渡すかぎり青々とした田んぼの稲が風にゆらいで、波のようのにうねっている。成田空港が近いこの田舎の空には、ひっきりなしに飛行機が行き来する。時間なんて忘れてしまいそうな景色の中、きっちりと時間どおりに世の中が動いていることを思い出して、学校のことをちょっと思い出す。元々のんびりぼーっとしているのを好む私は、学校では中々しっかりした小学生を演じているのだ。それは何となく自分のためでもあり、家族や先生のためでもあった。あの飛行機はハワイまで行くかな。あの入道雲の下は雨が降っているのだろうか。今からこのあぜ道を走っていけば、夕暮れまでに飛行機の真下まで行ってそこに寝転がって飛行機のお腹を一人占めにすることもできるかもしれない。私は何かに呼ばれるようにして、あぜ道に沿って走り出した。お姉ちゃんもついてきたけど、途中で「どこ行くの? 帰るよ」と言ってひき返した。私は時間を忘れて走り続けた。運動が得意でも好きでもない小学生の走るスピードと調和しているみたいだった。そうして走っていると、思った以上に飛行機が頭上に近づいてきた。あともう少しだ。いつの間にか、夕焼け空が一面、かすかな赤むらさき色に変わっていた。着いた。ここが飛行機の真下。飛行機が空を切り裂く、ちょうどそのど真ん中。私はちょうどよい場所を選んで、寝転がり、空をあおぎ見た。自分の足もとの向こう側から巨大な飛行機がやってくる。もう、あたりは暗闇だった。その時、飛行機のお腹から、オーロラの光のカーテンが下りてきた。色を変化させながらゆらゆら降りそそいでいた。


「祖父からの手紙」

名前:匿名希望


最近は、あまり墓参りに来ていないな。じいちゃんは少し淋しいぞ。でもある時期は、3ヶ月ごとに墓参りに来てくれていたな。何度も泣いて謝っているのを見ているし、丁寧に墓石をぞうきんで磨いているのも見ている。ありがとうな。お前があまりじいちゃんの病室にお見舞いに来なかったのは淋しかったけど、死期が近づいているのが怖かったじいちゃんは、逆によかったと思っている。あまり苦しまずに死んでいったけど、自分の死が近づいているのを感じながら生きる日々は、とても怖いものなんだ。じいちゃんは、77歳だった。もっと生きたかったから、悔しかった。だから入院中は毎日イライラしていた。病院食の味にケチつけたり、点滴を刺すのが下手な看護婦に八つ当たりしたりしていたな。もうお前とは話せなくなってしまったけれど、お前たち家族のことはずっと天国から見ているよ。だから、死に際にあんなにビクビクしないで、大好きな饅頭を食べたり、ハイライトの煙草を思い切り吸っておけばよかった。じいちゃんが死んだとき、お前は中学生だったな。あれから家族に、いいことも悪いこともあったし、相続で揉めているのもここから見ていた。今はいろんなトラブルが解決していてよかった。真面目にこつこつ、じいちゃんとお店を経営してきたお前の父さんが報われてよかった。家族だけじゃない。お前自身にも辛い時期が何度もあったな。辛いことがあるとお前ははるばる小田原の墓にくる。墓の前で、無言でじいちゃんに話しかける。いつだったか、中途で入った会社の人間関係が上手くいかず、毎日通勤が地獄だってグチりにきていたな。先輩のイビリに負けないで、最終的に認められるようになった。そのとき、ちゃんとじいちゃんにお礼言っていた。墓の前じゃなく、空に向かって、ありがとうって言っていた。じいちゃんは何もしていない。でも、ずっと見ていた。今でも見ている。死ぬとな、生きているころより家族の心も、親戚の心の中も、ずっと分かるようになる。全部お見通しだ。死人に嘘はつけない。昔は「お見舞いにあまりいけなくてごめん」って、墓の前で謝っていたけれど、最近は「しっかりした大人になっていなくてごめん」って、謝っているな。そんなこと、じいちゃんは気にしてない。こうなって欲しいなんて思っていない。じいちゃんは、お前が赤ん坊のときからずっと、屈託のない笑顔が大好きだった。だから、じいちゃんは、お前があのときように笑って過ごしていたら、家族とも友達とも、お世話になっている人とも、笑って過ごしてくれていたら、それでいいんだ。どんな形でもいい。笑って暮らす。だから、もうじいちゃんに謝らなくていい。これからも、ずっと、見守っているよ。




あなたの可能性に限界はありません